『弘明集』を読む(5)
僧祐「序」(5)
それ かったんは よるに なくも はくじつの ひかりを ひるがえさず
夫れ鶡旦(1)は夜に鳴くも、白日の光を翻さず。
たとえ 〔夜明けを告げる〕ミミキジが夜中に鳴いたとしても、陽の光がさすことはないし、
- 【鶡旦】ミミキジ。ニワトリのように、夜明けを告げて鳴く美しい鳥。
せいえいは いしを ふくむも そうかいの いきおいを そんする なし
精衛(1)は石を銜むも、滄海(2)の勢を損する無し。
セイエイが石を口に含んで〔いくつもの石を東海に落としたとしても〕、大海の勢いが弱まることはない。
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【精衛】古代中国の伝説上の鳥。夏を司る炎帝の娘が東海で溺れて死に、白いくちばしと赤い足を持った鳥に生まれ変わった。西山の石をくわえて東海に落とし、海を埋めようとしたが、効果がなかった。「精衛塡海」(せいえいてんかい)という四字熟語にもなった。不可能な計画を立てて時間を費やし、無駄に終わることのたとえに使われる。
- 【滄海】青々とした広い海。
しかれども やみを もって ひかりを みだし しょうを もって だいを むにし
然れども闇を以て光を乱し、小を以て大を罔にし、
しかし、〔彼ら儒学者や道家たちは〕暗愚であるゆえに、〔仏法の〕光を遮ろうとしているし、器が小さいがゆえに偉大なる〔仏法〕を騙し欺こうとしている。
ごうはつを うごかす なしと いえども しかも しちょうに じんする あり
毫髪を動す莫しと雖も、而も視聴に塵する有り。
もちろん、そんなことでは〔仏法を〕髪の毛一本分すら動揺させることはできないが、しかし、〔人々が仏法を〕見たり聞いたりすることの妨げにはなってしまっている。
《今回のポイント》
ここでは、儒学者や道家たちの教えが矮小であることを比喩を用いて表現している。また、光の前では闇は無力であり、小さなもので大きなものを覆うことはできない(罔は「網」という意味もある)ように、仏法を卑小な教えで動揺させることはできないが、教化の対象たる人々への障害となっている。