Buddhist Narratology Laboratory

「答えのない時代に、共に答えを作る」をモットーに仏典を読んでいきます。

『弘明集』を読む(21)

牟子『理惑論』(12)仏伝①

 

だいいっしょう ぶつでん
第一章 仏伝(1)
〔牟子『理惑論』〕第1章「ブッダの生涯」

  1. 【仏伝】釈尊ブッダ)の生涯の伝記。

 

 

あるが とうて いわく ほとけとは いずれ より しゅっしょうせるや
或るが問うて曰く、仏とは何れ従り出生せるや。
或る人が質問して〔次のように〕言った。「仏はどこから生まれてきたのか。

 


むしろ せんぞ および おくゆう ありや いなや
寧ろ先祖及び国邑(1)有りや不や。
先祖や祖国というものはあるのか、ないのか。

  1. 【国邑】国やむら、みやこ。

 

 

みな なにをか せぎょうし かたち なにに るいするや
皆何をか施行し、状何に類するや。
いったい何を行ったのか。また、その見た目はどんな風貌なのか。」

 


ぼうし いわく とめるかな といや
牟子曰く、富めるかな問ひや。
牟子は〔答えて〕言った。「実によい質問だ。

 


こうに ふびんを もって りゃくして その ようを とかん
請ふに不敏(1)を以て略して其の要を説かん。
その質問に対して、〔自分はまだ〕詳しい知識をもたないが、今から簡単にその要点について述べていこう。」

  1. 【不敏】機敏でなく、頭の回転が鈍いこと。ここでは、自分をへりくだって言う。

 

 

《今回のポイント》
ここでは、牟子の理解していた「仏伝」が語られる。内容的には、現在の「仏伝」と大差はない。まず、匿名の人物の質問が牟子になされる。この質問は、恐らく、牟子が実際に投げつけられたものであったのだろう。牟子は、質問者に対して、自分のことを「不敏」(まだよくわからない者)と言ってへりくだっているが、すでに相当の勉強を修めていたことであろう。