『弘明集』を読む(29)
牟子『理惑論』(20)仏伝⑨
たいし いわく ばんぶつは むじょうなり
太子曰く、万物は無常(1)なり。
太子は、〔白浄(浄飯)王に次のように〕答えた。「あらゆるものは、永遠なものではありません。
- 【無常】固定した実体がなく、とどまることなく移り変わること。
そんする あるも まさに ほろぶべし
存する有るも当に亡ぶべし。
存在するものは、いつか必ず壊れるのです。
いま みちを まなび じっぽうを どだつせんと ほっすと
今道を学び、十方(1)を度脱(2)せんと欲すと。
だから、〔わたくしは〕今、真理を学び、この世に生きるものたちすべてを救いたいと願っているのです。」
- 【十方】東・西・南・北、東南・西南・東北・西北、そして上・下を併せた十の方角。この十方にそれぞれ衆生の住む世界があるとされる。
- 【度脱】漢訳仏典においては、「度」は「渡」と同じ意味でつかわれている。迷いの世界からさとりの世界へ、衆生を導くこと。「脱」は「解脱」の意。煩悩から解き放たれて自由になることをいう。
おう いよいよ かたきを しりて ついに たちて かえる
王彌々堅きを知りて遂に起ちて還る。
〔白浄(浄飯)〕王は、〔太子の意志が〕固いのを知ると、〔そのまま黙って〕立ち上がり、その場を去った。
たいし ただちに さる
太子径に去る。
太子は、〔父の去りゆく背中を見送ると、〕自身もまた立ち上がり、〔父とは逆の道を〕歩いていった。
みちを おもうこと ろくねん ついに じょうぶつす
道を思ふこと六年、遂に成仏す。
そして、真理を追い求めること六年、ついに「目覚めた者」(仏陀)と成ったのである。
《今回のポイント》
釈迦族の王子として生まれ、何不自由なく育てられてきた太子であったが、彼の望むものは、王宮での派手な暮らしではなく、すべての命あるものたちの救済であった。そして、父は何も言わずに去っていく。太子はもちろん、父の気持ちは痛いほどわかっていたであろう。
『弘明集』を読む(28)
牟子『理惑論』(19)仏伝⑧
みょうにち かくねんとして しょざいを しらず
明日廊然(1)として所在を知らず。
次の日、〔太子の部屋は〕がらんとして誰もいなくなっていた。
- 【廊然】大空のからりと晴れあがったさま。ここでは、太子が消えて、がらんとして人の気配がないことを表している。
おう および りみん きょきせざる なし
王及び吏民(1)、歔欷(2)せざる莫し。
〔白浄(浄飯)〕王および民衆たちは、〔太子がいなくなったことを知り、〕悲しまなかった者はいなかった。
- 【吏民】役人と一般市民。
- 【歔欷】すすり泣くこと。
これを おって たに およぶ
之を追つて田(1)に及ぶ。
〔白浄(浄飯)王は、太子を〕探し回り、田んぼ〔があるような郊外〕で、〔ようやく太子を〕見つけることができた。
- 【田】文字どおり「田んぼ」の意。太子の父・浄飯王 (白浄王)の名前が「浄らかな飯」であることから、その領土では稲作が盛んだったのであろうといわれている。
おう いわく いまだ なんじ あらざるの とき じんぎに かんじょうせり
王曰く、未だ爾有らざるの時、神祇に勧請(1)せり。
〔白浄(浄飯)〕王は、〔太子に向かって次のように〕言った。「まだお前が生まれていなかったとき、〔わたしは子宝に恵まれるよう〕神々に祈りを捧げた。
- 【勧請】神を祀(まつ)り、やって来て願いを叶えてくれるよう祈ること。
いま すでに なんじ あり たまの ごとく けいのごとし
今既に爾有り。玉の如く、珪の如し(1)。
そして、今、お前は生まれ育ち、宝石や水晶のように〔美しく尊い存在に〕なっている。
まさに おういを つぐべくして さるは なんすれぞ と
当に王位を継ぐべくして去るは何ん為れぞと。
まさに〔近い将来、〕王位を継ぐべき〔立場にありながら、王宮から〕出ていくというのは、どういうことなのか。」
《今回のポイント》
次の日、太子がいないことを知った父・浄飯王はどのような気持ちであったであろうか。昔から、わが息子の思慮深い性格を憂えていたのではないか。「ついにこの日が来てしまった」との思いを禁じえなかったであろう。また、浄飯王にとって、太子がどれだけ大切な存在であったかがわかる。ただ、父はわが息子の考えていることなど、すべてわかっていたであろう。「なぜ、出ていくのか」という質問は、ただの確認でしかない。
『弘明集』を読む(27)
牟子『理惑論』(18)仏伝⑦
ふおう たいしを ちんいとし ために きゅうかんを おこし
父王、太子を珍偉とし、為に宮観(1)を興し、
父である白浄王(浄飯王)は、〔太子の息子が六年かかって産まれたことも、〕太子が偉大であるがゆえの珍事であるとして〔大いに喜び〕、太子のために宮殿・楼観を建造させ、
- 【宮観】宮殿と楼観。楼観は、高いところから物を見るための建物。
ぎじょ ほうがん ならびに まえに つらねる
妓女(1)宝玩(2)、並に前に列る。
そこに多くの妓女たちを住まわせ、さまざまな宝物を並べた。
- 【妓女】中国における遊女、または芸妓。
- 【宝玩】珍しい品物。
たいし せらくを むさぼらず こころ どうとくに そんす
太子世楽を貪らず、意道徳に存す。
〔しかし、〕太子は、そういった世俗の快楽に興味がなかった。ただひたすら〔太子の〕心は「道を求める」ことに向いていた。
とし じゅうく しがつようか やはん しゃのくを よび
年十九、四月八日夜半、車匿を呼び、
〔太子が〕十九歳のとき、〔みんなが寝静まった〕四月八日の夜中に、〔こっそりと〕車匿(チャンダカ)を呼び出し、
けんだかを ろくし これに またがり
揵陟を勒し、之に跨り、
揵陟(カンタカ)を連れてこさせ、〔太子は揵陟(カンタカ)に〕跨った。
きじん ふきょし とんで しゅっきゅうす
鬼神扶挙(1)し、飛んで出宮す。
〔そのとき、〕神々が現れ、〔揵陟(カンタカ)に跨った太子と車匿(チャンダカ)を空中に〕持ち上げると、〔彼らを〕宮殿から飛び出させた。
- 【鬼神扶挙】鬼神とは、超人的な力をもつ存在を指す。「扶」は助けることを意味するから、ここでは、超人的な力をもつものが太子たちを持ち上げ、宮殿を飛び出す助けをしたということ。
《今回のポイント》
父王は、孫の誕生を大いに喜んだであろう。しかし、太子の気持ちは真逆を向いていた。そのまなざしはすでに世俗の栄華を見ていなかった。そして、ある日の夜中、ついに太子は家を出る決意をする。ここでは神々がその手伝いをしたとあるが、実際はチャンダカが手引きをしたのであろう。愛馬カンタカに乗って、太子は苦難の道への一歩を歩み出した。
『弘明集』を読む(26)
牟子『理惑論』(17)仏伝⑥
とし じゅうしちにして おう ために のうきす なこくの おんななり
年十七にして、王為に納妃す。那国(1)の女(2)なり。
〔太子が〕十七歳のとき、父である白浄王(浄飯王)は、〔太子のために〕お妃さまを迎えた。隣国の姫であった。
たいし ざすれば すなわち ざを うつし
太子坐すれば、則ち座を遷し、
太子は、座るときは、離れて座るようにし、
いぬれば すなわち とこを いにす
寝ぬれば、則ち床を異にす。
寝るときは、別の寝床で寝るようにしていた。
てんどう はなはだ あきらかにして いんようにして つうじ
天道(1)孔だ明かにして陰陽(2)にして通じ、
〔しかし、〕自然の摂理というものは、いかなるときもあるべきようになるものであって、陰と陽は〔不思議と〕通じ合うものであり、
- 【天道】自然の摂理。
- 【陰陽】天地間にあって、互いに相反する性質のもの。天・男・日・昼・動・明などは陽、地・女・月・夜・静・暗などは陰とされる。
ついに いちなんを いだく
遂に一男を懐く。
ついには、一人の男児を授かることになった。
ろくねんにして すなわち うまる
六年にして乃ち生る。
〔しかし、なかなか産まれず、〕六年かかって、産まれた。
《今回のポイント》
太子は、父王に結婚をさせられるが、最初は避けるようにしていたことがわかる。しかし、ついには一男を授かることになる。一説には、妊娠してから出産まで六年かかったという。
『弘明集』を読む(25)
牟子『理惑論』(16)仏伝⑤
たいしに さんじゅうにそう はちじゅっしゅごう あり
太子に三十二相、八十種好(1)有り。
太子には、三十二相・八十種好〔という、聖人の相〕が現れていた。
- 【三十二相、八十種好】三十二相は転輪聖王(理想的な帝王)または仏にそなわるとされる32種の特徴。八十種好は仏や菩薩に見られるとされる80種の特徴。
しんちょう じょうろく からだ みな こんじき いただきに にっけい あり
身長丈六(1)、体皆金色、頂に肉髻(2)有り、
身長は、一丈六尺(4.8m)、体は黄金に輝いていた。頭のてっぺんには肉のコブがあり、
- 【丈六】「一丈六尺」の意。丈も尺も中国や日本で使われた長さの単位。1丈=約3m、1尺=約30cnなので、1丈6尺は3m+(30cm×6)=4.8mである。
- 【肉髻】仏の頭頂部にある肉の隆起。三十二相のひとつ。
きょうしゃ ししの ごとし
頬車獅子の如し(1)。
頬はライオンのように〔豊かにふくらんで〕いた。
- 【頬車獅子の如し】頬が獅子のように豊かにふくらんでいること。三十二相のひとつ。
した みずから おもてを おおい てに せんぷくりんを にぎり
舌自ら面を覆ひ、手に千輻輪(1)を把り、
舌を伸ばせば、自らの顔を覆うほどであり、手のひらには車輪のような手相が刻まれており、
- 【千輻輪】「輻」は車輪の中央から外側の輪に向かって放射状に出ている棒。これが千本ある車輪のこと。
ちょうこう ばんりを てらす
頂光万里を照す。
頭のてっぺんから発せられる光は、万里を照らした。
これ りゃくして その そうを もうけるなり
此れ略して其の相を設けるなり。
これが簡単に言えば、仏の〔高貴なる〕みすがたである。
《今回のポイント》
ここでは、太子の姿かたちの説明をしている。ただ、身長が4.8mというのは、高すぎる。しかし、後世の仏教徒は、これを信じていた。日本にある仏像も、丈六で作られているものが多い。それらはだいたいは坐しているが、立ち上がると4.8mになるように作られている。また、太子は奇異な相を持つとされているが、それだけ滅多に現れることのない者であり、偉大なる人物という意味である。
『弘明集』を読む(24)
牟子『理惑論』(15)仏伝④
ときに てんち おおいに うごき きゅうちゅう みな あきらかなり
時に天地大いに動き、宮中皆明かなり。
そのとき、天地が激しく震動し、宮殿のなかまで一気に明るくなった。
そのひ おうけの しょうえも また いちじを うむ
其の日王家の青衣(1)も復た一児を産む。
その日、〔釈迦族の王家の〕女奴隷が一人の赤ちゃんを産み、
- 【青衣】奴隷の別名。
きゅうちゅうの はくばも また はっくを にゅうす
厩中の白馬も亦白駒(1)を乳す。
厩舎の白馬もまた一頭の白い仔馬を産んだ。
- 【白駒】白い馬。ここでは白馬が生んだ白い子馬を指す。
ぬ あざなは しゃのく うまを けんだかと いう
奴字(1)は車匿(2)、馬を揵陟(3)と曰ふ。
その女奴隷の息子の名は車匿(チャンダカ)、白い仔馬の名は揵陟(カンタカ)と言った。
- 【字】本名以外に付ける名前。あだ名。
- 【車匿】太子時代の釈尊に付き従ったしもべの名前。サンスクリット語ではチャンダカという。のちに出家するも、傲慢な性格で教団の規律をしばしば乱した。釈尊が入滅するとき彼に対して懲戒処分を与えたことによりショックを受け、それ以降は心を入れ替えて修行し阿羅漢果を得たという。
- 【揵陟】太子時代の釈尊の愛馬。サンスクリット語ではカンタカ。
おう つねに たいしに したがわしむ
王常に太子に随はしむ。
白浄王(浄飯王)は〔車匿(チャンダカ)と揵陟(カンタカ)を〕つねに太子に付き従わせた。
《今回のポイント》
天地が震動する、というのは、珍しいことが起きたということの比喩表現である。たとえば、法華経が説かれようとするとき、やはり地震が起きている。また、同じ日に奴隷と白馬が産まれており、彼らは釈尊に付き従うことになる。ここでは、その奴隷と白馬の紹介をしている。
『弘明集』を読む(23)
牟子『理惑論』(14)仏伝③
ゆめに びゃくぞうに のる みに ろくげ あり
夢に白象に乗る。身に六牙有り。
夫人は、夢のなかで白象に乗っていた。〔その白象には〕牙が六本生えていた。
きんぜんとして これを よろこび ついに かんじて はらむ
欣然(1)として之を悦び、遂に感じて孕む。
夫人は、非常にうれしい気分になった。その瞬間、懐妊したという。
- 【欣然】よろこんで物事をするさま。
しがつ ようかを もって ははの みぎわきよりして うまる
四月八日を以て、母の右脇よりして生る。
四月八日、〔お産のために里帰りをしていた途中、休憩をしていたルンビニー園において、夫人は急に産気づき、仏は〕夫人の右脇から誕生した。
ちに おちて いくこと しちほ みぎてを あげて いわく
地に堕ちて行くこと七歩、右手を挙げて曰く、
地に降り立った仏は、七歩歩き、右手を挙げて〔次のように〕おっしゃった。
てんじょうてんげ われに こゆる もの あること なし
天上天下、我に踰ゆる者有ること靡しと。
「天界にも地上にも、わたしを超える者はいない。」(天上天下唯我独尊)
《今回のポイント》
釈尊の母、摩耶夫人は、夢のなかで白象に乗り、そのことを喜んだ瞬間に懐妊したという。また、「天上天下唯我独尊」。有名な言葉である。これも産まれてすぐの赤ちゃんが話せるわけはないので、偉大性の比喩表現であろう。