『弘明集』を読む(22)
牟子『理惑論』(13)仏伝②
けだし きくに ほとけの けの かたち たるや
蓋し聞くに、仏の化(1)の状為るや、
〔わたくしの〕聞くところによれば、仏がこの世に現れ、〔人々を教化しつづけてきた、〕そのありさまというものは、
- 【化】化現(けげん)。仏や菩薩が衆生を救済するために、さまざまに姿を変えて世間に現れること。
どうとくを しゃくるいすること すうせんおくさいにして
道徳を積累すること数千億載にして
道を求める功徳を積み重ねること、数千億年にわたるものであり、
ききすべからず
紀記(1)すべからず。
それは誰にも記録できるようなものではない。
- 【紀記】順序だてて記録し、書き記すこと。
しこうして ほとけを うるの ときに のぞんで てんじくに うまる
然して仏を得るの時に臨んで天竺(1)に生る。
そして〔ついに〕仏と成られるにあたって、インドの地に生まれ落ちることになる。
- 【天竺】インド。
かたちを びゃくじょうおう ぶにんの じんしんに かる
形を白浄王夫人(1)の尽寝に仮る。
そして、その体が〔この世に産まれるにあたって、〕白浄王(浄飯王)の夫人(摩耶夫人)の胎内を借りることになった。
- 【白浄王夫人】白浄王は浄飯王(じょうぼんのう)の別名。インドのカピラバストゥという国の王で、釈尊の実父。夫人とはその妃のことで、摩耶夫人(まやぶにん)という。
《今回のポイント》
仏は、ジャータカ等にあるように、生まれ変わり死に変わりを繰り返し、永遠にも近い長い間、菩薩行を積んで、最終的に覚者となった。そして、ついにインドで成仏のときを迎える。仏になると、輪廻から解脱するので、次の生はない。
『弘明集』を読む(21)
牟子『理惑論』(12)仏伝①
だいいっしょう ぶつでん
第一章 仏伝(1)
〔牟子『理惑論』〕第1章「ブッダの生涯」
あるが とうて いわく ほとけとは いずれ より しゅっしょうせるや
或るが問うて曰く、仏とは何れ従り出生せるや。
或る人が質問して〔次のように〕言った。「仏はどこから生まれてきたのか。
むしろ せんぞ および おくゆう ありや いなや
寧ろ先祖及び国邑(1)有りや不や。
先祖や祖国というものはあるのか、ないのか。
- 【国邑】国やむら、みやこ。
みな なにをか せぎょうし かたち なにに るいするや
皆何をか施行し、状何に類するや。
いったい何を行ったのか。また、その見た目はどんな風貌なのか。」
ぼうし いわく とめるかな といや
牟子曰く、富めるかな問ひや。
牟子は〔答えて〕言った。「実によい質問だ。
こうに ふびんを もって りゃくして その ようを とかん
請ふに不敏(1)を以て略して其の要を説かん。
その質問に対して、〔自分はまだ〕詳しい知識をもたないが、今から簡単にその要点について述べていこう。」
- 【不敏】機敏でなく、頭の回転が鈍いこと。ここでは、自分をへりくだって言う。
《今回のポイント》
ここでは、牟子の理解していた「仏伝」が語られる。内容的には、現在の「仏伝」と大差はない。まず、匿名の人物の質問が牟子になされる。この質問は、恐らく、牟子が実際に投げつけられたものであったのだろう。牟子は、質問者に対して、自分のことを「不敏」(まだよくわからない者)と言ってへりくだっているが、すでに相当の勉強を修めていたことであろう。
『弘明集』を読む(20)
牟子『理惑論』(11)序伝⑪
あらそわんと ほっせば すなわち みちに あらず
争はんと欲せば則ち道に非ず。
〔このような世間の人々の非難に対して、牟子は、次のように思った。〕「〔非難に対して〕論争をしようと欲するならば、それは〔自分の求める〕真理(道)からはずれたものとなる。
もくせんと ほっせば すなわち あたわず
黙せんと欲せば則ち能はず。
〔かといって、〕黙殺しようとしても、とても我慢できるものではない。」
ついに ひつぼくの あいだを もって
遂に筆墨の間を以て、
〔このように考えた結果、牟子は〕筆を執り、
ほぼ せいけんの げんを ひきて これを しょうげし
略ぼ聖賢の言を引きて之を証解し、
過去の聖人や賢人たちの言葉を引用しながら、〔自分の意見の正しさを〕証明し、〔自分への非難の愚かさを〕解説して、
なづけて ぼうし りわくと いうと いう
名づけて牟子理惑と曰ふと云ふ。
それらをまとめたものを「牟子理惑」と名づけた。
《今回のポイント》
それまで常識的にすばらしいとされる生き方をしていた者が、いったん道からはずれたかのような生き方を選んだとき、世間は非情にも誹謗中傷を加える。己の正義をふりかざす。それがその対象となった者をどんなに傷つけようと。牟子は、争いは望まないが、誤解されたままでいることには我慢ができなかった。 そして牟子は、自分の正しさを証明するために、著作を作成しようと決意する。過去の聖人や賢人の言葉を用いて、自分の説の正統性を証明し、世間の誤解を解くことが目的であった。よって、それを「誤解」(惑)を「解く」(理=おさめるの意)論という題名とした(もともと『治惑論』という題名であったという説もある)。
『弘明集』を読む(19)
牟子『理惑論』(10)序伝⑩
ゆえに たっとぶべきなりと
故に貴ぶべきなりと。
よって、〔老子は〕高貴なる人物なのだ。」
ここに おいてか こころざしを ぶつどうに するどくし
是に於てか、志を仏道に鋭くし、
このように〔牟子は〕考えるようになり、その生き方(志)を徹底的に仏道に捧げるようになり、
かねて ろうし ごせんぶんを みがき げんみょうを ふくみて しゅしょうと なし
兼ねて老子五千文を研き、玄妙を含みて酒漿(1)と為し、
同時に、『老子』の五千言についても研究をして、その深く妙なる〔教え〕を、まるで美酒を嗜むかのように、味わい、
-
【酒漿】酒。
ごきょうを もてあそんで きんこうと なす
五経を翫んで琴簧(1)と為す。
〔これまで生真面目に取り組んできた〕五経を、まるで琴(こと)と笙(しょう)の演奏を楽しむかのように、〔自由に〕解釈した。
- 【簧】笙(しょう)の笛。雅楽に用いる管楽器のひとつ。
せぞくの ともがら これを ひとするもの おおく
世俗の徒、之を非とする者多く、
世間の人々の多くは、このように〔変わってしまった牟子の態度を〕受け容れることができず、
もって ごきょうに そむき いどうに むかうと なす
以て五経に背き異道に向ふと為す。
〔牟子の態度は〕五経〔の教え〕に背くものであり、異端の道に走ってしまったと非難した。
《今回のポイント》
牟子は、それでも道術士になることはなく、基本的には仏法を己の指針としつつ、『老子』の研究にも励んだという。また、これまで単なる学問として五経を学び、いわば教科書的にしか理解してこなかったが、世間での成功をあきらめた今、自由に解釈を加え、自分の思い通りに生きることができるようになった。しかし、そういうレールからはずれた者に対して、世間は冷たい。
『弘明集』を読む(18)
牟子『理惑論』(9)序伝⑨
これを ひさしうして ひきて おもえらく
之を久しうして退きて念へらく、
このようなことがあり、〔牟子は〕しばらくの間、〔次のように〕ひとり静かにもの思いに耽っていた。
べんたつの ゆえを もって すなわち しめいせらるるも
弁達(1)の故を以て、輒ち使命せらるるも、
「〔わたくしは〕弁論についての能力があったので、使者としての命をたびたび受けたが、
- 【弁達】述べ伝えること。
まさに よ じょうじょうにして おのれを あらわすの ときに あらざるなりと
方に世擾攘(1)にして、己を顕すの秋(2)に非ざるなりと。
今の世の中は、ざわざわと騒がしく乱れているので、自分のような者が、世間に名を轟かせることができる時代ではないのだ。」
- 【擾攘】混乱しているさま。
- 【秋】大切な時期。秋は穀物の収穫があり、大事な時期であることから。
すなわち たんじて いわく ろうしは ぜっせい きち しゅうしん ほしん
乃ち歎じて曰く、老子は絶聖棄智(1)、修身保真(2)、
そして、ため息をつきながら、〔次のように〕考えた。「かの老子は、人格の完成(聖)を目指したりせず、多くの知識(智)を持とうともせず、自分の身に〔災いが降りかからないように、俗世の権力と関わりを持たず、〕おとなしくしながら、本当の自分(真)を大事にした。
- 【絶聖棄智】『老子』第19章に、「聖を絶ち智を棄つれば、民の利は百倍す」とある。
- 【修身保真】前漢時代の老荘思想を中心とした書物『淮南子』(えなんじ)に、「全性保真」(ぜんせいほしん)という言葉が出てくる。人間にとって最も真実なことは、自己の身を安楽に保つことであるから、世俗的なこととは一切かかわり合わないで、その本性を養うようにしなければならないという主張である。
ばんぶつ その こころざしを おかさず てんか その らくを かえず
万物其の志を干さず、天下其の楽を易へず。
〔だから、〕ありとあらゆるものが、その〔老子の〕生き方(志)を変えられなかったし、天下に住むありとあらゆる人が、その〔老子の〕楽しみ方(楽)を変えられなかった。
てんしも しんとするを えず しょこうも ともとするを えず
天子も臣とするを得ず、諸侯も友とするを得ず。
〔また、〕たとえ皇帝であっても、〔老子を〕臣下にすることはできなかったし、どんな権力者であっても、〔老子を〕友人とすることはできなかった。
《今回のポイント》
恐らく、母の喪に服しながら、さまざまな思いが牟子の胸中を去来していたことであろう。そして、牟子がくだした最終的な判断は、この戦乱の時代にあっては、どんなに能力があっても、突発的な出来事によってすべてが台無しになってしまう、というものであった。牟子は、これまでさんざん批判し、論破してきた道術士たちの尊敬する老子(もしくは老子の生き方)に尊敬の念を持つようになる。
『弘明集』を読む(17)
牟子『理惑論』(8)序伝⑧
ぼうし いわく ひれき ふくれき けんぐうの ひ ひさしければ
牟子曰く、被秣服櫪(1)、見遇の日久しければ、
牟子は〔交州の長官(州牧)に〕次のように答えた。「厩舎に飼われている馬のように、〔わたくしも〕長い間、ご恩を受けている身でありますから、
- 【被秣服櫪】まぐさをあてがわれて厩につながれ、面倒をみてもらっている馬の様子。ここでは上司に世話になっているさま。
れっしは ぼうしん かならず ていこうを きす
列士(1)は忘身、必ず騁効(2)を期す。
烈子(主君に殉ずる者)〔であるわたくし〕は自分の身を顧みず、〔この任務を〕必ず成功させてみせます。
- 【列士】名誉のために命も捨てる人物のこと。
- 【騁効】馬を走らせ、手柄を立てること。
ついに げんに まさに はっすべしと
遂に厳に当に発すべしと。
目的を達成するために、万全の準備を整えて出発いたしましょう。」
たまたま その はは そつぼうし ついに いくことを はたさず
会々其の母卒亡し、遂に行くことを果さず。
〔しかし、そのとき〕偶然、牟子の母親が亡くなり、結局、出発することができなくなってしまった。
《今回のポイント》
牟子も、交州の長官(州牧)のこの話を聞かされ、「身を捨ててでも、軍隊が通過できるようにいたします」と牟子は答え、出発に向けて着々と準備を進めていた。そのとき、二度目の運命のいたずらが牟子の運命を狂わせる。
『弘明集』を読む(16)
牟子『理惑論』(7)序伝⑦
おとうとは ぎゃくぞくの ために がいせらる こつにくの つうふん かんじんより はっす
弟は逆賊の為に害せらる。骨肉痛憤肝心より発す。
「〔わたくしの〕弟は逆賊(笮融)によって殺害されしまった。血を分けた実の兄として、〔実の弟を殺されたという、〕このどうしようもないほどの悲しみ、どうしようもないほどの怒りが、心の底から次から次へとわいてくる。
りゅうといをして いかしめんとするに あたり
劉都尉(1)をして行かしめんとするに当り、
騎都尉劉彦を〔とにかく早く予章へ〕向かわせたいのだが、
- 【劉都尉】騎都尉劉彦のこと。
がいかいの ぎなん ぎょうにんの ふつうなるを おそる
外界の疑難、行人不通なるを恐る。
他の州郡から疑われ、軍隊が通過することを許可してもらえないかもしれない。
きみは ぶんぶ けんびにして もっぱら たいさい あり
君は文武兼備にして専ら対才有り。
〔そこで、〕君は文武にわたって優れ、特に交渉の能力に関しては飛び抜けた才能を持っている。
いま これを れいりょう けいように あいくっし
今之を零陵桂陽(1)に相屈し、
今、その才能をもって、零陵・桂陽の長官のもとへ行き、頭を下げて、
- 【零陵桂陽】零陵と桂陽。いずれも、現在の湖南省南部に置かれた都。交州から予章へ進軍する際の通り道にあたる。
みちを つうろに からんと ほっす いかんと
塗を通路に仮らんと欲す。如何と。
〔軍隊が領内を〕通過する許可をもらってきてもらえないだろうか。」
《今回のポイント》
弟を殺された悲憤はやるせないまでに、兄を苦しめる。早く軍隊を向かわせたい。しかし、他の州郡から少しでも疑われてしまえば、予章へ向かう道は閉ざされてしまう。そこで、弁論の才能があった牟子の才能を買って、「うまいこと話を進めてきてくれないか」とお願いをした。