Buddhist Narratology Laboratory

「答えのない時代に、共に答えを作る」をモットーに仏典を読んでいきます。

『弘明集』を読む(18)

牟子『理惑論』(9)序伝⑨

 

これを ひさしうして ひきて おもえらく
之を久しうして退きて念へらく、
このようなことがあり、〔牟子は〕しばらくの間、〔次のように〕ひとり静かにもの思いに耽っていた。

 


べんたつの ゆえを もって すなわち しめいせらるるも
弁達(1)の故を以て、輒ち使命せらるるも、
「〔わたくしは〕弁論についての能力があったので、使者としての命をたびたび受けたが、

  1. 【弁達】述べ伝えること。

 

 

まさに よ じょうじょうにして おのれを あらわすの ときに あらざるなりと
方に世擾攘(1)にして、己を顕すの秋(2)に非ざるなりと。
今の世の中は、ざわざわと騒がしく乱れているので、自分のような者が、世間に名を轟かせることができる時代ではないのだ。」

  1. 【擾攘】混乱しているさま。
  2. 【秋】大切な時期。秋は穀物の収穫があり、大事な時期であることから。

 

 

すなわち たんじて いわく ろうしは ぜっせい きち しゅうしん ほしん
乃ち歎じて曰く、老子は絶聖棄智(1)、修身保真(2)
そして、ため息をつきながら、〔次のように〕考えた。「かの老子は、人格の完成(聖)を目指したりせず、多くの知識(智)を持とうともせず、自分の身に〔災いが降りかからないように、俗世の権力と関わりを持たず、〕おとなしくしながら、本当の自分(真)を大事にした。

  1. 【絶聖棄智】『老子』第19章に、「聖を絶ち智を棄つれば、民の利は百倍す」とある。
  2. 【修身保真】前漢時代の老荘思想を中心とした書物『淮南子』(えなんじ)に、「全性保真」(ぜんせいほしん)という言葉が出てくる。人間にとって最も真実なことは、自己の身を安楽に保つことであるから、世俗的なこととは一切かかわり合わないで、その本性を養うようにしなければならないという主張である。

 

 

ばんぶつ その こころざしを おかさず てんか その らくを かえず
万物其の志を干さず、天下其の楽を易へず。
〔だから、〕ありとあらゆるものが、その〔老子の〕生き方(志)を変えられなかったし、天下に住むありとあらゆる人が、その〔老子の〕楽しみ方(楽)を変えられなかった。

 

 

てんしも しんとするを えず しょこうも ともとするを えず
天子も臣とするを得ず、諸侯も友とするを得ず。
〔また、〕たとえ皇帝であっても、〔老子を〕臣下にすることはできなかったし、どんな権力者であっても、〔老子を〕友人とすることはできなかった。

 

 

《今回のポイント》
恐らく、母の喪に服しながら、さまざまな思いが牟子の胸中を去来していたことであろう。そして、牟子がくだした最終的な判断は、この戦乱の時代にあっては、どんなに能力があっても、突発的な出来事によってすべてが台無しになってしまう、というものであった。牟子は、これまでさんざん批判し、論破してきた道術士たちの尊敬する老子(もしくは老子の生き方)に尊敬の念を持つようになる。