Buddhist Narratology Laboratory

「答えのない時代に、共に答えを作る」をモットーに仏典を読んでいきます。

『弘明集』を読む(20)

牟子『理惑論』(11)序伝⑪


あらそわんと ほっせば すなわち みちに あらず
争はんと欲せば則ち道に非ず。
〔このような世間の人々の非難に対して、牟子は、次のように思った。〕「〔非難に対して〕論争をしようと欲するならば、それは〔自分の求める〕真理(道)からはずれたものとなる。

 


もくせんと ほっせば すなわち あたわず
黙せんと欲せば則ち能はず。
〔かといって、〕黙殺しようとしても、とても我慢できるものではない。」

 


ついに ひつぼくの あいだを もって
遂に筆墨の間を以て、
〔このように考えた結果、牟子は〕筆を執り、

 


ほぼ せいけんの げんを ひきて これを しょうげし
略ぼ聖賢の言を引きて之を証解し、
過去の聖人や賢人たちの言葉を引用しながら、〔自分の意見の正しさを〕証明し、〔自分への非難の愚かさを〕解説して、

 


なづけて ぼうし りわくと いうと いう
名づけて牟子理惑と曰ふと云ふ。
それらをまとめたものを「牟子理惑」と名づけた。

 

 

《今回のポイント》
それまで常識的にすばらしいとされる生き方をしていた者が、いったん道からはずれたかのような生き方を選んだとき、世間は非情にも誹謗中傷を加える。己の正義をふりかざす。それがその対象となった者をどんなに傷つけようと。牟子は、争いは望まないが、誤解されたままでいることには我慢ができなかった。 そして牟子は、自分の正しさを証明するために、著作を作成しようと決意する。過去の聖人や賢人の言葉を用いて、自分の説の正統性を証明し、世間の誤解を解くことが目的であった。よって、それを「誤解」(惑)を「解く」(理=おさめるの意)論という題名とした(もともと『治惑論』という題名であったという説もある)。