『弘明集』を読む(11)
牟子『理惑論』(2)序伝②
このとき れいてい ほうご てんか じょうらんし
是の時霊帝(1)崩後、天下擾乱(2)し、
この頃、霊帝が崩御されたことにより、世の中が乱れてきていたが、
ひとり こうしゅうのみ やや やすらかにして
独り交州(1)のみ差安かにして、
交州だけはまだ平穏が保たれていたので、
- 【交州】現在の北ベトナムおよび中国の広東・広西の一部の古称。
ほっぽうの いじん みな きたって これに あり
北方の異人、咸な来って焉に在り。
北方の道術士たちはみんな、〔交州に〕移動してきて、この地に住み着いていた。
おおくは しんせんの へきこく ちょうせいの じゅつを なす
多くは神仙の辟穀(1)長生の術を為す。
〔その道術士たちの〕多くは、神仙思想の書物に説かれるところの「穀物を食べない」という長生の術を実践していた。
- 【辟穀】「辟」は「避ける」、「穀」は「穀物」の意。神仙術のひとつ。穀物が体内で消化されるとそのカスから「濁気」(だくき。けがれた気)が生じて病気の原因になるので、穀物のかわりに松の実やきのこ、薬草を食べる。
じじん おおく まなぶ もの あり
時人多く学ぶ者有り。
そして、当時の人々のなかには、彼らの説を学ぶ者も多かった。
《今回のポイント》
ここでは、世の中が乱れていたときに、交州だけが戦乱に巻き込まれておらず、平穏であったため、北方から道術士たちがこぞって避難してきていたとある。また、当時すでに、「穀物を食べないこと」(糖質制限)が長生の術(長生きする方法、健康法)として、世の中の人々に広く受け容れられていたことがわかる。