Buddhist Narratology Laboratory

「答えのない時代に、共に答えを作る」をモットーに仏典を読んでいきます。

『弘明集』を読む(12)

牟子『理惑論』(3)序伝③

 

ぼうし つねに ごきょうを もって これを なんずるも
牟子常に五経(1)を以て之を難ずるも、
牟子は、〔彼らに対して〕つねに〔儒教の経典である〕五経(『易経』・『書経』・『詩経』・『礼記』・『春秋』)を用いて道術士たちを批判したが、

  1. 五経儒教において尊重される五つの経書。『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』をいう。

 

 

どうか じゅつし あえて これに あたうる なし
道家術士(1)、敢て焉に対ふる莫し。
道教の道術士たちは、あえてその批判に応えようとはしなかった。

  1. 【術士】方術士。ここでは神仙術を扱う者のこと。

 

 

これを もうかの ようしゅ ぼくてきを ふせぐに ひす
之を孟軻(1)の楊朱墨翟(2)を距ぐに比す。
これを〔世の人々は、儒家の〕孟子が楊朱や墨子の説を退けたことに匹敵すると称賛した。

  1. 【孟軻】儒家孟子の本名。
  2. 【楊朱墨翟】「楊朱」は老子の弟子と言われる人物で、徹底した個人主義と快楽主義を説いた。「墨翟」は「墨子」の本名。博愛主義を説く。儒家は、楊朱の思想は君主をないがしろにし、墨翟の思想は父をないがしろにするとして、両者を批判した。

 

 

この ときより さき ぼうし ははを もって よを こうしに さく
是の時より先、牟子、母を将って世を交趾(1)に避く。
このときより、牟子は母を連れて、戦乱の世を避けるために交趾に来ていた。

  1. 【交趾】交趾郡。現在のベトナム北部トンキン・ハノイ地方の古称。

 

 

とし にじゅうろく そうごに かえりて つまを めとる
年二十六、蒼梧に帰りて妻を娶る。
二十六歳のときに、蒼梧に帰り、結婚した。

 

 

《今回のポイント》
このときはまだ、牟子は儒教側に立っており、道術士を論破して、称賛を受けている。その後、この立場が変わっていくことになる。また、ここには、牟子が妻帯したとあるが、どのようにして生計を立てていたかは不明である。