『弘明集』を読む(3)
僧祐「序」(3)
だいほう とうりゅうしてより とし ほとんど ごひゃく
大法東流してより、歳幾んど五百(1)、
偉大なる仏法(仏の教え)が東方(中国)に流布してから、そろそろ五百年になろうとしている。
- 【歳幾んど五百】後漢の明帝の時代(57~75年)に仏教が中国に伝来したとする伝説に基づく。この伝説は『弘明集』巻第一に収録されている『理惑論』にも記載がある。『弘明集』の成立は518年。
えんに おのおの しんぴ あり うん また すうたい あり
縁に各々信否あり、運亦た崇替あり。
その〔約五百年の間で、仏法に〕出会った人間は数知れないほどいるが、そのなかには信仰心を起こした者もいれば、起こさなかった者もいる。また、その〔約五百年の間に、仏法の〕流行り廃りというものがあり、ものすごい勢いで広まった時期もあれば、まるで勢いがなくなった時期もある。
しょうけんの ものは ふさんし じゃわくの ものは ぼうさんす
正見の者は敷讃し、邪惑の者は謗訕す。
ただ、〔どんな時期であっても、〕正しい見解を持った者は〔仏法を〕盛んにほめたたえ、邪説に惑わされた者は〔仏法に〕誹謗中傷を加えてくる。
《今回のポイント》
この500年弱の間の中国での仏教流布というものが、それほど順調なものでなかったことを述べている。